出版等事業:本関連

日本海学の提唱


富山県 国際・日本海政策課
 

本文章は、『日本海学の新世紀5 交流の海』 にも掲載されています。
→『日本海学の新世紀5 交流の海』角川書店(p307~313)

はじめに

 二酸化炭素など温室効果ガスの排出削減を先進国に義務づける京都議定書が一九九七年十二月の採択以来、長い議論を経て二○○五年二月に発効しました。地球温暖化対策がようやく第一歩を踏み出したことになりますが、私たちが、この人類の生存に適した地球を子孫に遺していくためには、この他にも多くの解決していかなければならない問題があります。化石燃料の枯渇、森林の破壊と砂漠化の進行、大気や海洋の汚染、食糧不足など、いずれも緊急に対応していかなければならい課題です。そして、この危機は世界人口の約半分を占めるアジアにおいて最も深刻なものであると思われます。
 地球規模で生じている現在の危機にわれわれが対処していくには、日本が置かれているアジアという地域において、地球規模の観点から持続可能性社会の構築に向けて柔軟に考える必要があります。

1 「日本海学」が目指すもの

(一)「逆さ地図」が訴えかけるもの

 富山県が一九九四年に作成したいわゆる「逆さ地図」(環日本海諸国図、カラー口絵参照)をじっくりと見てください。この地図を見ていると日本海がまるで琵琶湖のような湖に見えてきます。また、日本列島と大陸がほとんどつながっており、日本海を取り囲んで一つ連環をなし、一体的なものに見えてきます。この地図は、これまで私たちが抱いてきた、日本が大陸から切り離された島国であるという認識を打ち壊し、日本は北東アジアにおいて日本海をめぐる環日本海という地域に属し、対岸諸国と密接な関係を持っているのだということを強く訴えかけてきます。

(二)総合学としての日本海学

 富山県では、環日本海地域の将来にわたる持続的発展を可能とするためには、環日本海地域が抱える問題をトータルに捉え直し、今後のあり方を探っていくことが重要であるとの認識の下、「日本海学」を提唱しています。「日本海学」は、逆さ地図が提供する柔軟な発想に支えられて、環日本海交流の中央拠点づくりを推進する富山の地で産声をあげました。そのフレームワークは、伊東俊太郎麗澤大学教授(東大名誉教授)を代表とする人文、社会、自然系の研究者からなる日本海学推進会議(日本海学推進機構の前身)によって練っていただいたものです。
 「日本海学」は、環日本海地域全体を、日本海を共有する一つのまとまりのある圏域としてとらえ、日本海に視座をおいて、過去、現在、未来にわたる環日本海地域の人間と自然のかかわり、地域間の人間と人間のかかわりを、「循環」と「共生」と「海」の視点を明確にしつつ、総合学として学際的に研究しようとするものです。

(三)具体的な研究分野

① 環日本海の自然環境
  誕生から現在までの日本海および環日本海地域の自然環境変動の歴史をさまざまな手法を用いて解析し、変動の 周期性から、近未来の変動予測を行います。
② 環日本海地域の交流
  日本海を介した環日本海地域の交流を生み出した要因や交流の形態を、歴史を踏まえて地球規模の観点から、明 らかにしていきます。
③ 環日本海の文化
  環日本海地域の民族が環日本海の自然環境や交流の影響を受けながら創り出し、受け継いできた生活文化の特  色や日本海とのかかわりの中で生まれた海と森の思想や信仰を明らかにしていきます。
④ 環日本海の危機と共生
  半閉鎖海域である日本海の環境保全のための方策や国際協力、未来の環日本海地域の可能性を探り、人間と自 然との共生、環日本海地域の共生を提示していきます。

(四)視点

① 循環
  環日本海地域が周期性をもった地球全体の自然環境システムの中で存在しているという視点。
② 共生
  環日本海地域における人間と自然との共生、日本海を共有する地域間における人間と人間との共生の視点。
③ 日本海
  環日本海地域において、日本海が果たしてきた役割、意義を問い直し、これからの日本海との関係を見つめる視点。

2 新たなパラダイムの創造に向けて

 日本海学は、循環と共生のシステムを豊かな森と水に恵まれた環日本海をベースに、幅広くいろいろな角度から学際的に問題を考えようということを提唱しています。現在の地球が抱える問題の根源が、産業革命以降の工業化を中心とした人間の営みそのものにあり、生物の生存可能性に危機を生じさせているという現実の下で、いかに人間の営みのパラダイムを循環と共生、そして海の視点に立って、変えることができるかが問題なのです。自然科学、人文科学、社会科学の観点からいわば人間の営みの総体を捉え直して、いかに新しい営み、地球と共生できる営みをつくれるのか、こういうことが今まさに求められます。日本海学はそれを考えるフレームワークを提示するものです。
 そして、日本海学が豊かな森と水に恵まれた環日本海から創出することを目指す二一世紀の新たなパラダイムは、以下のようなものであろうと考えています。

① 地域全体の危機を回避する観点から、持続的な発展を可能とする地域を将来世代へと継承していくこと。
② 総合的に環日本海の抱える問題を捉えることにより、共生の価値観への転換を図り、直線的な発展の文明観から循環的な文明観への転換を目指すこと。
③ 「日本海学」をベースとする取り組みを行政、学術、民間などさまざまな立場から推進し、環日本海という枠組みにおいて、これまでの国家中心の考え方から地域中心の考え方への転換を図り、地域のアイデンティティーを確立することにより、真の地方分権によるパラダイムの転換を可能とすること。

3 日本海学の動き

 二〇〇三年二月、日本海学の調査研究と普及をはかるために日本海学推進機構(会長・伊東俊太郎麗澤大学教授)が設立され、日本海学推進事業も広がりを持ってきました。

〈刊行物〉

 二〇〇一年三月に本書の創刊号を刊行して以来、年一冊の刊行を継続し、今年度は記念すべき第五集を世に問うことができました。また、日本海学の普及入門                          書『ジュニア版 日本海読本』(角川書店)、絵本『うみをわたったこぶた』(岩崎書店)も幅広く購読されています。

〈シンポジウム・大学・研究機関連携講座〉
 日本海学シンポジウムは、富山、大阪、東京、京都と開催を重ね、二〇〇四年度は富山市で「環日本海地域・持続可能性社会への展望」をテーマに開催いたしました。
 大学との連携では、富山大学の正規の授業である総合科目「環日本海」の一環として、四回の「日本海学セミナー」が初めて開催され、一〇〇人以上の学生が受講しました。
 また、富山県立大学では「海をめぐる人と環境~日本海学の視点から~」(八回)、早稲田大学においても「日本海学~文化をつなぐ日本海~」(一〇回)の公開講座を開催し、多くの社会人に受講していただきました。
 さらに、国立民族学博物館との連携事業としてパネルディスカッション「万葉の時代と国際環境~日本海学から環日本海諸国の交流をひもとく~」、気象庁との連携事業として「気候講演会~日本海地域と気候変化~」を開催しました。通年の日本海学普及事業である「日本海学講座」(五回)と併せて、多くの方々に受講いただきました。

〈研究事業〉
 日本海学の対象分野についての調査研究委託事業として、「環日本海文化と立山信仰に関する研究」(二〇〇三年度からの継続)、「最終氷期最寒期(二万年前)以降における日本海の環境変動に関する高分解能研究」の二件の研究委託を行いました。また、日本海学の研究・普及活動に対する支援事業も行いました。

〈環日本海地域の海洋環境保全の各国協力に向けて〉
 国連環境計画(UNEP)の提唱による「地域海行動計画」に対応する、北西太平洋行動計画(NOWPAP)の本部事務局(RCU)が、二〇〇四年一一月に富山市(国連機関としては日本海側初の設置)と韓国釜山広域市に設置されました。これにより、閉鎖性の強い日本海の海洋環境保全について沿岸各国や自治体の取り組みが大きく前進すると考えられます。日本海学が掲げる「海・循環・共生」の視点が、今後の取り組みに寄与できれば幸いです。