風に支えられた渤海船
7世紀の終わりの中国の唐の時代、日本海の対岸に渤海(ぼっかい)という国ができ、今の中国の東北地方からロシアの沿海地方までにおよぶ広いはん囲で力を持ちました。渤海は、日本と友好関係を結びたいと考え、727年に使節(しせつ:国の命を受けて外交をする人)を送ってきました。
渤海の使節を乗せた船は、ロシアの沿海地方を出発し、冬の季節風にのって日本海を一気に横断、今の秋田県から山口県にいたる日本海側の各地の岸に着きました。そこから陸路を使って奈良や京都の都にのぼり、春になると石川県や福井県などの沿岸から再び季節風にのって帰国しました。
日本と渤海との交流は、渤海の国がほろびるまで約200年つづきました。その間に、渤海の使節は34回も日本を訪れています。
また、日本から渤海へも13回に渡って使節が送られました。そして、熊やトラなどの毛皮、経典や仏具、暦(こよみ)などの貴重な品々を日本にもたらしました。
渤海船の渡航ルート
渤海船は始め、50人乗りぐらいの帆船(ほぶね)でしたが、しだいに船の技術が進歩し、最後のころは100人あまりが乗れる大型船で来日したようです。 冬に来日した使節は、春の南風を待って帰国したため、石川県や福井県には冬の間、使節をもてなす建物である「客院(きゃくいん)」や「客館(きゃくかん)」がおかれていたようです。