丸木舟で海を渡った人びと
縄文(じょうもん)時代の人びとは、丸木舟(まるきぶね)を使って海峡を超え、日本海を超えて行き来していました。
縄文時代は、想像以上に外の地域との交流がさかんな時代でした。人びとが日本列島に渡ってくるルートとしては、沿海州から樺太(からふと)・北海道に渡るルート、朝鮮半島から対馬(つしま)に渡るルート、中国南部からミクロネシアなどの島づたいに渡るルート、
そして大陸から日本海を直行して渡ってくるという、4つのルートが考えられています。
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海を超えた先祖たちのルート
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縄文時代の日本海の船の主役は、丸木舟という小型の木造船でした。福井県の鳥浜遺跡(とりはまいせき)からは、約5500年前のものとみられる日本最古の丸木舟が発見されました。 また、鳥取県の桂見遺跡(かつらみいせき)から発見された丸木舟は、長さ7m24cm、幅74cmあり、縄文時代のものとしては日本最大級です。

鳥取県の桂見遺跡(かつらみいせき)から
発見された丸木舟
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