古墳が語る古代の日本海交流
古墳(こふん)は、古代の権力者のお墓で、3世紀後半から日本各地でつくられました。古墳の形にはいくつか種類があります。
日本海側の地域では、すその部分が四方にはり出し、海にすむヒトデのような形をした四隅突出型墳丘墓(よすみとっしゅつがたふんきゅうぼ)という、全国的にもめずらしい形の古墳が見つかっています。島根県や鳥取県を中心とした山陰(さんいん)地方でその大半が分布し、
富山県より北では発見されていません。また、山陰と北陸の中間である、丹後(たんご)半島でも発見されていません。つまり、この時代の山陰と北陸の交流は、陸路ではなく、海の道でつながっていたということが想像できます。
ヒトデ型の古墳が最初にどこでつくられたかについては、日本列島の中国の山地が有力とみられています。また、朝鮮半島の古代の墓から影響を受けたという説もあります。いずれにしても、日本海を舞台とした「海の道」との深いつながりだけははっきりしています。