たくましき商船
北前船はたんなる荷物の運送船ではなく、途中、各地の港に立ち寄り、商売をしながら航海をしていました。
行きは、北陸や東北で米・酒・塩・木材などを仕入れて、蝦夷地(えぞち)で売り、帰りはその代金で、蝦夷地の特産である昆布・にしん・さけ・数の子などを買い付けて、日本海沿岸の港で売りさばきました。これによって、船主はばく大な利益を得たのです。
越中(富山県)では、北前船は「バイセン」ともよばれました。その理由は、産物を買う船=買船(ばいせん)だからとか、片道の航海で元がとれ、往復すると倍(ばい)の利益がでるからともいわれています。ちなみに、1往復の航海で船主が得た利益は、ざっと1千両とさえいわれています。
北前船の集積地・蝦夷地(えぞち:北海道)の
松前のようす
海の豪商・銭屋五兵衛
北前船交易で力を付けていった船主のなかには、対岸のロシアとの交易に乗り出した者もいました。「海の豪商(ごうしょう)」といわれた加賀藩宮腰(かがはんみやこし:石川県金沢市)出身の銭屋五兵衛(ぜにやごへい)もそのひとりで、 北前船の航路の確立に力をつくし、最盛期には大小あわせて200隻(せき)以上の船を持っていたといいます。