日本を変えた稲作
稲作は、それまでの人びとの生活や社会を大きく変えていきました。えものを追って移動するその日ぐらしの生活は、食料を保管できる稲作によって1ヵ所にとどまる定住生活へと変わりました。
やがて、人がまとまって住み、村ができると、稲作を指導する支配者が大きな財産と権力をもち、豪族(ごうぞく)になっていきました。
弥生(やよい)時代の代表的な遺跡(いせき)である佐賀県の吉野ヶ里遺跡(よしのがりいせき)からは、炭になった米や農具とともに、食料を貯蔵したと思われる高床倉庫のあとが見つかっています。
また、戦いに使われたと思われる青銅製の剣(けん)、支配者の大きな墓など、縄文時代の遺跡からは決して見つからなかった、いろいろな物が発掘されました。
それらのものは、稲作を中心として、多くの人がまとまって住んでいたこと、そして時には権力の争いがあったことをあらわしています。
こうして九州で発達した稲作は、本州に伝わり、日本海沿岸を北上して東北まで達し、北海道をのぞく日本列島全体に広がっていったのです。